新年のご挨拶とお知らせ、と。

皆様、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

早速ですがお知らせです。
去る2014年11月に、設計仲間の白井(アトリエ・アーキクラフト代表)と共に、「株式会社 梁(りょう) 建築設計」 を設立しました。
10年間個人事業として一級建築士事務所デザインスペックを運営して参りましたが、これに伴い、2015年1月より、建築業務は梁建築設計の方に移行します。

2015.01.01

というわけで、
改めまして、梁建築設計の小林です。

思えば、この10年、いろいろなことがありました。
初めて手がけた、実家のガレージでは、大工の見習いをしながら、半分自分で施工もしました。
毎年、雨漏りに悩まされる刺激的な処女作となっていますが、10年の時を経て、いい感じでカスタムされております。

その後、一時的に三浦愼建築設計室の管理建築士をしていた時には、軽井沢でとてもユニークな別荘を手がけました。
構造的にも空間的にも評価を受けて、当時の建築雑誌で表紙を飾ることもできました。
しかし、まだまだ若輩者だった私にとっては、なかなか大変な現場でした。
工事が始まると、現場近くのホテルに常駐し、日夜建築の勉強と現場の予習復習の毎日。
軽井沢にいながら、一切観光らしいことはできませんでした(仕事だから当たり前ですがw)
そして、当時の施工会社の現場監督に色々叱咤激励を受けながら、建築の知識や経験はもちろん、人間的にも色々と成長させていただきました。

また、その当時の事務所スタッフ3人(小林・白井・平山)と共同で、社内ベンチャー的に春日部の住宅を手がけました。これが住宅の処女作になります。
こちらはDOMAという作品で、やはり雑誌やテレビなどでも取り上げていただき、東京ガス賞というものも頂きました。
これを機にアーキテクト*マシーンという設計共同体をつくり、その後もYANEKABEと住宅をいくつか手がけました。

ちなみに、アーキテクト*マシーンとして活動しながら、小林はデザインスペックとして、白井はアトリエ・アーキクラフトとして、平山はアトリエhHとして、それぞれ活動を続けていました。

店舗設計では、日立市のサーフショップが処女作となりました。こちらの施工を手がけていただいたウッドベル・ワンの鈴木さんには、今でも懇意にしていただいており、茨城の現場はほとんど、彼に手がけてもらっています。
サーフショップも色々と困難の多い現場でしたが、無事に完成した時は、本当にうれしかったのを今でも覚えています。
鈴木さんに何かお礼をしたくて、彼が好きだというヴィンテージ・マッカランを贈答したのも、なんだかよい思い出です。
(高かったなぁw)

足立区の有名ラーメン店「田中商店」も手がけさせていただきました。こちらがリノベーションの処女作になります。
男気あふれる店長の田中さんにビクビクしながら(笑)も、無事に完成し、今でも変わらず行列のできるお店の前を通ると、当時を思い出し、うれしくなります。

同じく店舗でリノベーションの2作目は、ひたちなか市のエステ店RUANAでした。
こちらももう7,8年経ちますが、オーナーさんからは毎年年賀状を頂き、その後の様子もうかがえてうれしい限りです。

また、大学の先輩との共同設計で足立区に共同住宅も手がけました。
こちらは事務所(当時は自宅兼事務所でした)からほんとに近くで自転車で現場まで通っていました。

そのほかにも、茨城埼玉を中心に住宅をいくつか手がけていました。

そんな折の2011年3月11日。
東日本大震災がありました。

実家も被災したため、確認のために10時間かけて行きました。
そして実家の修繕をしたのち、再び東京に戻ったところで、大きな転機がありました。

仙台への出張です。
ここから、デザインスペックと宮城とのつながりが始まりました。

3月から8月まで仙台で被災家屋の調査に携わり、その後、石巻にボランティアに行きました。

ボランティアで泥かきをしているうちに、ひょんなことから自分が建築士であることを伝えると、いろいろな方から家をどうにかしたいという要望が出てきて、修繕のお手伝いや支援金の申請のお手伝い、建物の無料相談などをするようになりました。
そして、石巻にも事務所を構えることになりました。

住宅の修繕をいくつか手がけましたが、その中で、上海楼飯店という中華料理店の修繕を依頼され、引き受けました。
こちらは、石巻にボランティアにいってすぐに泥かきしたお宅でした。
ちょうど、震災があって1年後の頃、14:46の追悼サイレンがなる中での現場監理だったのを覚えています。

完成後、初めて店主がごちそうしてくれた中国ラーメンの味は今でも忘れません。

また、この頃から、住宅の仕事がどんどんと舞い込んできて、地元の同級生の家(こちらも震災で被災したための建て替えでした)を手がけたり、ボランティアで産廃となる木材を東京からはるばる石巻まで運んできてくれた方と知り合いになり、葛飾区に家を建てたいということでその設計依頼を受けたり、ウッドベル・ワンの鈴木さんのつながりで水戸の家の設計依頼を受けたりしました。白井との共同設計で世田谷でも住宅を手がけました。そしてさらに、石巻でも新築の依頼もありました。

そんな感じで2012年、2013年は石巻と東京を行ったり来たりの生活でした、ほぼ車での移動でしたので、いったい何万キロ走ったのか、今では気が遠くなりますが、遮二無二がんばってやっていました。

しかし、いろいろなハプニングはあるものです。
石巻の現場でちょうど建て方が終わった頃、施工会社が倒産してしまいました。
時に2013年3月11日、震災があって2年後でした。
今でもそうですが、当時は工事業者が引く手あまたの状況でして、とても倒産後の後工事を引き受けてくれる業者などいませんでした。
そこで、無謀かもしれませんが、自分が工務店の代わりも引き受けることにしました。
文章に書くと一瞬ですが、ここは本当に、大変でした。
当時の状況は、是非石巻W邸のブログを見ていただきたいと思います。がんばりました、わたくしw

2013年の夏、無事に石巻の新築を完成させることができました。
色々痛手もありましたが、たくさんの方に支えていただき、やり遂げることができました。

この新築を機に、石巻からは一旦離れることになり、ちょうどその頃工事が始まった葛飾の現場監理を行いながら、水戸の家の設計を進めつつ、新たに相談のあった草加の家の設計相談と、関東の仕事に没頭する毎日が続きました。

そして2013年11月、白井のお誘いを受けて、上野の事務所をシェアすることになりました。

宮城から離れて半年、新しい環境で仕事に没頭するようになったのもつかの間、やはり何かの縁なのでしょうか、再び宮城でお仕事をすることになります。
しかも今度は気仙沼。石巻よりさらに北です。ほぼ岩手です。
これはさすがに車では厳しく(石巻も相当大変でしたがw)、今のところ新幹線と在来線で行き来しています。

こちらもいろいろなハプニング続きで、なかなか進展しなかったのですが、昨年末、ようやく現場がスタートしたところです。

そして、そんなタイミングの2014年11月。草加の家の引き渡しと同じ頃、白井と兼ねてから相談していた、法人化が実現することになりました。
そんなわけで、デザインスペックとしての最後の設計が草加の家でした。

こうして振り返ってみると、すべてのプロジェクトに何かしらのハプニングがあったなあとしみじみ思います。
(本文では割愛している部分も多いですが、ほんとに色々ありました)
でもハプニングというのは、決して悪いことばかりではないと思います。
逆にスムーズに事が進む方が、怖いことかもしれません。

自分の仕事の仕方は、あまり器用な方ではないと思います。だから、ハプニングがあれば、それとがっぷり四つに組んでしまいます。
決して楽な仕事の仕方ではないですが、それが責任というものだと思います。

建築はその人の人生を大きく左右する存在だと思います。
その責任をひしひしと感じながら仕事できることを、とてもうれしく思います。

というわけで、ながながと回顧録を失礼しましたw
今後とも、よろしくお願いします。

あ、ブログの方は、梁建築設計に変わっても、しばらくはこの「ひねもす・らいふ」を利用しようと思っていますので、引き続きよろしくお願いします。

株式会社 梁 建築設計
代表取締役 小林 良

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